★ ガルデル ミニ伝記 ─── ☆

 

本名チャールズ・ロムアルド・ガルデス。1890年12月11日フランス南部のガロンヌ川に臨むトゥールーズ市で生まれたということが通説ですが、研究家の中にはブエノス・アイレスやウルグアイであると主張する人もいます。
  2歳半のときに母ベルタに連れられブエノス・アイレスに居住することになりましたが、違和感なく直ぐにブエノス・アイレスの港町の雰囲気に溶け込んでいきました。
  幼少の頃から歌唱力には定評があり周囲の人々を感嘆させていました。その後、アルゼンチンフォークロアを歌いだした頃には、有名な吟遊詩人のホセ・ベティノティから「クリオーリョのツグミ」とまで言われました。

 
青年時代、彼はアバスト地区に居住しており、ここでは不良グループの仲間と一緒に警察との間で常に問題を起こしていたといい、彼がタンゴ(Mi noche triste: 俺の悲しい夜)を歌う1917年までそのような生活が続きました。それまで彼は前述のようにフォークロアを歌っていたのですが、たまたま歌詞付きのタンゴをあるショーで歌たい、それが聴衆に受けてからは彼のショーの曲目は全てタンゴに変わりました(それまでタンゴには歌詞を付けて歌われることはなく、インストゥルメンタルだけでした)。こうしてタンゴの歴史の中で偉大な歌手が生まれたのでした。歌った彼の有名な曲のなかには世界的に有名な「Mi Buenos Aires querido(俺の愛するブエノス・アイレス)」や「El dia que me quieras(私を好きになる日)」などがあります。その後、歌手や俳優として全盛期時代を迎え、アルゼンチンやフランス、アメリカ映画にも出演し、プエルト・リコやベネズエラ、コロンビアなどの中南米などはもちろんのことヨーロッパの殆んどの地域にもコンサートツアーをしアルゼンチンのタンゴを世界中に知らしめました彼でしたが、1935年6月24日コロンビアのメデジンの飛行機事故で44歳の若さで亡くなりました。ブエノス・アイレスのチャカリータ墓地には彼のお墓があり、今もたくさんのファンが訪れています。
 

彼の存在は最初に歌ったタンゴ歌手というだけではありません。何故ならばその後、多くのタンゴ歌手が現れましたが、彼の存在は色褪せることはなく、今も時代を超えて響き渡っているからです。
最後に、アルゼンチン人にとってガルデルは今もなお重要な存在であることを象徴するかのように、いくつかの決り文句(言い回し)が使われていますので、ここでご紹介したいと思います。

 

1.“Sos Gardel!”(君はガルデルだね!)  ある人が、ある分野において「最高の人だ」とお世辞を言う時や、何か大きな贈り物や助けをしてもらったときに「素晴らしい人だ」と表現するときに使います。
2.“Anda a cantarle a Gardel !”(ガルデルの所に歌いに行け!)  問題を抱えて愚痴(不平・不満)を言っている人の鼻っ柱を折る言葉です。「ガルデルの所に歌いに行け」というのはガルデルと歌で競おうと思う人はいないでしょうから、「意気消沈しろ。」→「気を静めろ。」ひいては「私に愚痴を言うな。」という意味になります。
3.“Gardel cada dia canta mejor.”(ガルデルは日々歌い方が良くなる)  これはもう亡くなってしまったガルデルを惜しみながら言う決り文句です。その意味は、亡くなったガルデルの歌い方が日々良くなるのであれば、元々歌のうまい彼に敵う歌手はもう現れないということです。アルゼンチン人の彼に対する愛情と洒落の利いた言い回しですね。