カルロス・ガルデルの秘密
El Secreto de Carlos Gardel

 

 

アルゼンチンの国民的英雄でタンゴ歌手の代名詞ともいえるカルロス・ガルデル。タンゴ歌手としてこれほど世界的に有名で、現在でも人々を魅了し続けている歌手は二度と現れることはないでしょう。彼の国籍や生年月日は謎のベールに包まれていて、没後70年を過ぎた今でもその真相について議論が続いています。彼はウルグアイ人なのでしょうか、それともフランス人なのでしょうか?アルゼンチン人という説もあります。本当の生年月日はいつなのでしょうか?

母べアット

母べアット

 
【ウルグアイ人説】
ウルグアイ人である根拠のひとつに彼が携帯していたパスポートが挙げられます。1935年6月24日のコロンビア・メデジン空港での飛行機事故後に彼の遺骨と共にブエノス・アイレスに送られてきた彼のパスポートには「ウルグアイ・タクアレンボ、1890年12月11日生まれ」と記載されていました。ガルデルはヨーロッパを初めとする海外でコンサートやフィルム撮影をするために、ウルグアイ人として入国していたのは事実で、彼自身もマスコミに対してウルグアイ人であることを何度も公言していました。現在でも多くの人々(特にウルグアイ人)がガルデルはウルグアイ人だと信じています。
 

【フランス人説】
では、どうしてガルデルがフランス人であると言われているのでしょうか。それは、フランスのトゥールーズ市に残されている出生証明書に父ポール(Paul)と母ベアット(Berthe)の間に生まれた「チャールズ・ロモールド・ガルデス(Charles Romuald Gardes)」の名前が残されていることや、1933年11月7日に彼が残した遺言状にトゥールーズで生まれたことを明記したこと、彼の親しい友人や関係者にトゥールーズで生まれたことを話していたことなどが挙げられます。ここで浮上する疑問は「どうしてガルデルがフランス人であることを隠し、名前や生年月日を変えてまでも偽造パスポートを所有する必要があったか。」ということです。  1923年、ガルデルの最初のヨーロッパ公演はラツァノとデュエットを組んだエンリケ・デ・ロサスというバンドのスペイン・マドリードで行われました。ガルデルと15年間仕事を共にした親友のラツァノによるとガルデルはこの公演に合わせてフランスに入国し、彼が生まれたトゥールーズ市や出生した家を見ること、また、パリの街を見学することを望んでいたといいます。そして、これらを実現するにはパスポートの偽造が必要でした。何故ならば、当時、フランスでは兵役が義務付けられていましたから、彼がフランスに入国した際に、フランス人であることや徴兵義務に従っていなかったことが判明すると厳重に処罰されたからです。

少年ガルデル

少年ガルデル

ガルデルは難なく、偽造パスポートでフランスのトゥールーズやパリを旅行することができました。それからというものは舞台公演や撮影をする度に、ウルグアイ人として旅行しました。
ウルグアイ・タクアレンボのパスポート発行に携わる役人は数回に渡り偽造パスポートを発行したといいます。現在では公的機関が偽造パスポートを発行することは考えにくいのですが、時代は80年前の南米であったことやタンゴが最盛期で、人々に崇拝されていたガルデルにとっては難しいことではなかったでしょう。
彼の死後、相続人同士で係争が起きたとき、ウルグアイ裁判所はフランスのトゥールーズのガルデルの出生証明書を彼のものとして認めました。また、2003年9月、ガルデルの声がユネスコの世界遺産に登録され、ここでもガルデルはトゥールーズ生まれのアルゼンチンタンゴ歌手であったことが記載されました

 
青年ガルデル

このように、現在では主流を占めるガルデルのフランス人説ですが、完全にウルグアイ人説を完全に否定できる証拠はありません。 ヨーロッパからの移民が殆どを占める移民の国の港町で生まれたタンゴ。この哀愁が漂うタンゴには彼らのヨーロッパに対する望郷の念が込められているといいます。現在はブエノス・アイレスのチャカリータ墓地に眠る不世出の歌手ガルデルもまたこのような思いでタンゴを歌っていたのでしょうか。彼同様、偉大な歌手の謎はそっとしておいた方がよいのかもしれません。

遺言状にサインをしているところ

青年ガルデル

遺言状にサインをしているところ